井上博士くん
127:
不徳田小寅夫
:2013/12/09 02:16
金聖哲は、第二次世界大戦の時に、祖国のブルマニアがナチスドイツに占領されていたので、熱烈なるヒトラー崇拝者であった。しかし、ドイツの敗戦が濃厚になり、アメリカが優勢になると、あっさりとナチスとヒトラーを捨てた。
敗戦後、聖哲はアメリカを解放軍として迎え、少し親米に傾いていたが、もともとブルマニアの独立を望んでいた聖哲は、アメリカが祖国の独立を阻み、ヤポニスタンの帝政を維持する方針に反発を覚え、祖国独立を支持していたソ連に接近した。
聖哲はソ連に飛び、スターリンと出会い、ブルマニア独立運動の援助を取り付けるのに成功した。そしてソ連の傀儡になって、ブルマニア東部とヤポニスタンを侵略した。帝政を打倒し、革命に成功した。
その後聖哲は、スターリンの政治手法を真似て、社会主義経済とプロレタリア独裁を学び、それからスターリンの様に神格化と個人崇拝で人民を強制洗脳した。
しかし、スターリンが死に、ソ連でフルシチョフが実権を握り、スターリン批判が始まると、聖哲は、ソ連と国交断絶し、中国に援助を求めた。
聖哲は毛沢東に憧れ、文化大革命に感銘を受けてしまい、国内でもそれを取り入れてしまったので、多数の人民が大虐殺の犠牲となった。でも毛沢東が死ぬと、中国は改革開放に切り替えた為に、また中国と国交断絶をしてしまった。
アメリカの経済制裁に、ソ連・中国の援助打ち切りと、失政の犠牲によって、国家崩壊寸前だった。それでも聖哲は自省するどころか、鎖国を宣言し、隣国への侵略と占領を続け、チベット仏教徒を弾圧したり、大虐殺したり、拉致して性奴隷にしたりと、蛮行を改めなかった。
経済は破綻し、内戦が勃発して無政府状態となり、聖哲は亡命したが、亡命先で持病が悪化し、癲狂院で自殺した。
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